一番古い記憶は、祖父と行った銭湯です。帰り道、みんなの機嫌がよくて、なんだか安心で、「自分のままでいていいんだ」と思えました。幼稚園のころは、パンにジャムを塗っただけのサンドイッチを作って、家族に配って回っていました。みんなが嬉しそうに食べる顔を見るのが、たまらなく好きでした。
誰かの嬉しそうな顔を、少し離れたところから見ている。
私の原点は、たぶんここです。
大学では野球ばかりで、やりたいことは何もありませんでした。就活で初めて「人を感動させる仕事がしたい」と思い、ホテルの会社に入りました。クリスマス満席のレストランを、一歩引いて眺めた夜のことは、いまでも覚えています。お客様もメンバーも楽しそうで、「ああ、幸せだな」と思いました。ジャムサンドの頃と、同じ気持ちでした。
でも、心のどこかでずっと思っていました。「いつか、自分でやってみたい」と。そのくせ、何年も動けませんでした。特別やりたいことがあるわけでもない。そんな自分が嫌いでした。動いたのは、第一子が生まれるタイミングです。「ここで行かないと、一生このままだ」と会社を辞めました。
そこからが、どん底でした。勧められるまま入った保険営業は、性に合わず失敗。次に紹介された社長のもとでは、契約書のないまま働き、給料が2回、支払われませんでした。最後は、罵倒の電話で終わりました。妻と、生まれたばかりの娘がいるのに、収入はゼロ。ただ、一番つらかったのは、お金のことではありません。
転機は、アドラー心理学のコーチングとの出会いでした。半年かけて、全部吐き出しました。そこで気づいたのは、意外なことでした。あの社長は例外で、それ以外の人生は、本当に人に恵まれていた。そしてもう一つ。契約書がないことに、私は最初から違和感を感じていました。その自分の中の引っかかりを、聞かずに放置した。それが、一番の敗因でした。ここで手に入れたのが、勇気づけと自己受容。自分とのコミュニケーションの取り方と、人とのコミュニケーションの取り方です。
この土台の上に、仕事を積み直しました。最初は、LINEを使った企業とお客様のコミュニケーション設計。大手企業から中堅企業まで、設計から運用までを担当しました。そして、AIに出会いました。
独立してからの私は、ずっと全部を一人でやってきました。提案書も、請求書も、経理も、調べ物も、ぜんぶです。だから、まず自分を実験台にしました。自分の仕事のやり方を片っ端から言葉にして、AIに渡してみたんです。すると、月20時間かかっていた作業が、5時間になりました。そのとき、はっきりわかったことがあります。「一人で抱え込まなくていい」は、心の持ち方だけの話ではない。
仕組みで、実現できる。
いまは、企業向けAI研修の設計と登壇をしながら、専門家や一人社長の「頭の中にあるやり方」を、AIの上で動く形に実装する仕事をしています。現場で出会うのは、腕は確かで、頭の中に全部あるのに、メールや資料や経理に時間を奪われている人たちです。本当は、自分にしかできない仕事と、大切な人との時間に使いたいのに。その姿は、一人で抱え込んでいた、あのときの私と同じに見えます。
だから、この仕事をしています。抱えているものを聞いて、言葉にして、AIと仕組みに移す。仕事が「あなたらしいまま」回るまで、作る・伝える・支える、の3つで一緒にやる。AIを入れる目的は、時間を削ることではないと思っています。余白を返すことです。空いた時間で、誰と、何をするか。そこからが、その人の本番です。
会社の名前は、TUMUGIBA——紡ぎ場、という意味にしました。人とAI。仕事と、大切な人との時間。頭の中と、現場。離れているもののあいだに糸を通して、撚り合わせて、一本にする。そうやって、笑いと感動と感謝が循環する場を紡いでいくのが、私のやりたいことです。
一人で抱え込むことは、誰の宿命でもありません。もしあなたが、頭の中に全部あるのに、誰にも渡せず一人で抱えているなら——それは、あのときの私です。だから、AIの話の前に、まず聞かせてください。あなたの中にあるものを一緒に形にして、その先にいる誰かの嬉しそうな顔まで届ける。やりたいことは、幼少期から変わっていません。